1: 膝靭帯固め(家)@\(^o^)/ 2014/08/31(日) 07:01:59.81 ID:qWViWfpy0.net BE:557665687-PLT(25252) ポイント特典
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201408/20140831_13012.html
1933年の昭和三陸津波の到達点を示すため当時建てられた標柱が、気仙沼、南三陸、石巻の宮城県内3市町に合わせて19基現存していることが気仙沼市教育長の白幡勝美さん(69)の調査で分かった。
標柱は「津浪(つなみ)境」などと刻まれ、教訓を後世に伝えてきた。白幡さんは「東日本大震災の復興工事で失われる恐れもある。先人たちのメッセージを残さなくてはならない」と訴えている。

標柱はそれぞれ、昭和の大合併前に旧村役場が設置したとみられ、気仙沼市大島に3基、南三陸町歌津に8基、同町戸倉に5基、石巻市雄勝町に3基が見つかった。
南三陸町歌津の標柱は14センチ四方、高さ45センチの石柱で、道路沿いなどに建てられ、正面に「津浪境」と刻まれる。石巻市雄勝町の石柱は「地震があったら津波の用心」と警句が彫られている。
気仙沼市大島はコンクリート製で、津波の古い呼び名「海嘯(かいしょう)」を使って「嘯害至此(しょうがいここにいたる)」と記した。文字は、生乾きのうちに旧大島村の菅原熊治郎村長が指で書いたとされる。
標柱が建った時期には、被害状況を伝える「津波記念碑」も全国からの寄付金で設置された。白幡さんは「記念碑が漁港、高台など目立つ場所にあるのに対し、標柱は旧村が津波到達点をはっきり示すため独自に建てたのだろう」と推測する。

続く

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